津島信仰の総本山八百万神が集う神社【津島神社】

【津島神社】

津島神社は、愛知県津島市の主神を建速須佐之男命、相殿を大穴牟遅命(大国主命)される津島信仰の総本社です。この地の英雄織田信長や
豊臣秀吉、終わり徳川家に厚く信仰され、社領の寄進や社殿の造営等をなされたそうです。

津島神社境内には、数多くの摂社や末社があり日本の神様の全てが祀られているのでは?と思うくらいです。

【南門】

四脚門 檜皮葺

慶長3年(1598年)豊臣秀吉の病気平癒の為、子秀頼寄進と伝えられ、当時の儘か不明であったが、昭和34年の伊勢湾台風で隣接の杉の大木が斃れかかり、解体修理の折、棟木から慶長3年の墨書きが見つかった。

【拝殿】

切妻造妻入 檜皮葺

建立年は不詳であるが、元和5年(1619年)寛永3年(1626年)の修理記録の棟札や、慶安2年(1649年)藩主より材の寄進をもって再建された記録が残されており、本殿の建立に併せ建設されたと思われる。

【楼門(国重要文化財)】

三間一戸楼門 入母屋造 檜皮葺

天正19年(1591年)豊臣秀吉の寄進、社殿の配置上此の位置は脇門となるが、江戸時代まで、神社東側に天王川が流れ、東約100mの馬場町の大銀杏の所にお旅所があり、この門を通り神輿渡御が行われていたため、神橋を構えあたかも正門の如き壮大な楼門が建立されたと思われる。

【弥五郎殿社(県重要文化財)摂社】

一間流造 銅板葺

寛文13年(1673年)の再建
津島神社社地の地主神で、津島神社の社家「紀姓」の姓祖武内宿祢を祀る。
堀田姓は、正応2年(1289年)彌五郎正泰の父之高が、中島郡堀田村を拝領して堀田氏と称したと伝えられる。
堀田彌五郎正泰(後述)は吉野朝廷に仕え、姓祖を祀る此の社を再建、己の佩刀「大原真守作の太刀」(現津島神社社宝 重要文化財)を寄進された事により、彌五郎殿社と称する。式内社「國玉神社」との説も有る。

【柏樹社・摂社】

須佐之男命奇御魂を祀る。

元は「柏宮」・「柏社」と云い、神託により天平元年(757年)居森の地よりを此処に移したと伝えられる。
社の後ろに古柏樹一株が生えていたところよりその名がある。

【和魂社・摂社】

須佐之男命和御魂を祀る。

元は蘇民将来を祀る「蘇民社」と称され、姥が森(現海部郡佐織町町方新田)に鎮座されていたのを瑞垣内に移したと伝えられる。
正月4日に祭礼を斎行し、本社拝殿前に「茅の輪」を立て、一年の無病息災を願い輪くぐりを行う。

【荒御魂社(県重要文化財)摂社】

一間流造 銅板葺

佐之男命荒御魂を祀る。

元は八岐大蛇の霊を祀る「蛇毒神社」と称された。
社殿は、華麗な彫刻と極彩色で飾られ、屋根は津島神社独特の古い形式を遺す美しい社殿である。

【稲荷社】

宇迦之御魂神を祀る。

京都伏見より勧進し、宝暦10年(1760年)の造営

【八柱社】

一間流造 銅板葺

須佐之男命の五男三女の御子神を祀る。
天之忍穂耳命・天之菩卑命・天津日子根命・活津彦根命・熊野樟毘命
多紀理毘売命・市寸島比売命・多岐津比売命
元「八王子社」と称し、寛文年間までは本殿相殿に祀られていた。

【菅原社】

菅原道真公を祀る。

元神主氷室家の邸内社で、京都北野天満宮より勧請して、正保年間に創立されたと伝えられる。

【照魂社】

戦没者の御魂1,170柱

昭和26年御垣内に津島出身の英霊658柱を祀る祖霊社を建立したのが始まりで、昭和29年に現地に移され、照魂社と改称された。

【大鳥居】

【お札等授与所】

【南門前手水舎】

【さざれ石】

【熊野社・末社】

長寿と縁結び♪

【外宮・末社】

【戸隠社・末社】

勇気を称える神

【御朱印】

津島神社

津島神社公式サイト↓

【境内案内図】

【住所】愛知県津島市神明町1

【電話】0567-26-3216